織田信長の宗教政策①
既存の宗教勢力の破壊と新しい政治的権威の絶対化
前回の講義では、この授業の全体的な見通しについて「日本人はなぜ、『宗教』が苦手なのか」といったテーマを中心に説明しました。
文化庁の統計調査では、人口の2倍ほども宗教団体に所属している日本人がいる一方で、 街頭のインタビューやアンケート調査では、「特定の宗教は持たない」と発言する人が多い状況について、NHKの意識調査などをもとに解説しました。
第2回と第3回の講義では、織田信長の宗教政策と信長から始まる日本的な政教関係の成立について考えます。
宗教的権威が優位にあるこの政教関係を逆転させたのは、応仁の乱以後の政治・社会・文化の混乱期を治め、新たな秩序を確立させた織田信長です。
織田信長の宗教政策とその後の影響について考える場合には、これらの宗教勢力との対立を考慮する必要があります。
信長は比叡山や高野山、興福寺など、朝廷や幕府と分かちがたく結びついてきた旧来の宗教的/政治的権威を徹底的に破壊し、一向宗や法華宗などの新しい宗教勢力と対峙しながら天下布武を成し遂げていきます。そして、荒木村重謀反の残党の処遇をめぐって高野山を包囲している最中に、本能寺でその生涯を終えます。
しかし、信長を起点とする宗教的権威と政治的権威の新たな関係は、豊臣秀吉や徳川家康に受け継がれ、近世の日本に独特の政治と宗教の関係を形成していくことになります。信長の宗教政策の特色については、次のようにまとめることができるでしょう。
織田信長の宗教政策の特色
①旧来の宗教的・政治的権威の徹底的破壊
→比叡山焼き討ち・将軍の追放
②自治を支える新たな宗教運動の弾圧と攻略
→一向宗や法華宗の制圧
②自治を支える新たな宗教運動の弾圧と攻略
→一向宗や法華宗の制圧
③自己神格化・・・摠見寺の建立
それでは、信長は具体的にどのような宗教政策を打ち出したのでしょうか。次回の講義では、信長の宗教勢力への具体的な対応と独創的な宗教政策を紹介しながら、この時代から登場する新たな政教関係の性格について、さらに詳しく検討していきたいと思います。とくに③自己神格化について、次回の講義で詳しく紹介します。
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