2021年4月22日木曜日

宗教学特殊講義3/日本宗教史研究2 第2回



織田信長の宗教政策①

 既存の宗教勢力の破壊新しい政治的権威の絶対化

 
前回の講義では、この授業の全体的な見通しについて「日本人はなぜ、『宗教』が苦手なのか」といったテーマを中心に説明しました。


文化庁の統計調査では、人口の2倍ほども宗教団体に所属している日本人がいる一方で、 街頭のインタビューやアンケート調査では、「特定の宗教は持たない」と発言する人が多い状況について、NHKの意識調査などをもとに解説しました。


一般的な日本人にとって「宗教」は、日常会話のなかで話題にされにくいテーマであり、実際に熱心な宗教活動を行なっている人でもカミングアウトしにくい雰囲気があります。宗教人口統計の問題は、しばしば日本人の「重層信仰」の問題として分析されてきましたが、現実は「宗教」について語りにくい文化的な風土独特な「心性」が背景にあることを説明しました。


そして、フェルナン・ブローデルによる「歴史的時間の三類型」を紹介しながら、この授業では
中期持続:社会的な時間(文化の歴史)」に焦点をおいて、織豊政権以来の日本的な政教関係の成立を出発点として「日本人の宗教心性」の歴史的な起源について考えて行くプランを説明しました。

第2回と第3回の講義では、織田信長の宗教政策と信長から始まる日本的な政教関係の成立について考えます。


新しい文化とともに受容された、「仏教」を中心に成立した古代日本の国家は、「律令的国家仏教」と称される体制のもとで、つねに宗教的な権威を政治的な権威の上に置き、前者が後者を支えるかたちを取ってきました。このことは、「権門体制」と言われる貴族政治や武家政権のもとでも基本的に継承されていきます。

宗教的権威が優位にあるこの政教関係を逆転させたのは、応仁の乱以後の政治・社会・文化の混乱期を治め、新たな秩序を確立させた織田信長です。


信長が戦国時代の混乱を収拾し、天下統一を目指すなかで対峙せざるを得なかった宗教勢力には、大きく分けて次の二つのタイプがありました。〈A.かつて政治的権威を支えた宗教的権威をもとに領国化した宗教勢力〉〈B.新たな勢力による地方自治を支えた新しい宗教的権威〉です。どちらも信長の天下布武を阻害する大きな障壁になりました。

織田信長の宗教政策とその後の影響について考える場合には、これらの宗教勢力との対立を考慮する必要があります。


尾張国を統一した信長は、今川氏を破って勢力を拡大し、足利義昭を擁して京都に入ります。しかし、結果的に義昭と対立することになり、一時は京都を追われますが再起して天下統一の事業を推進します。この過程で義昭を追放して室町幕府を滅亡させ、旧来の政治的・宗教的権威を解体するとともに、地方自治を支える精神的支柱になっていた一向宗(浄土真宗)や法華宗(日蓮宗)などの新しい宗教勢力との対立を深めていきます。

信長は比叡山や高野山、興福寺など、朝廷や幕府と分かちがたく結びついてきた旧来の宗教的/政治的権威を徹底的に破壊し、一向宗や法華宗などの新しい宗教勢力と対峙しながら天下布武を成し遂げていきます。そして、荒木村重謀反の残党の処遇をめぐって高野山を包囲している最中に、本能寺でその生涯を終えます。

しかし、信長を起点とする宗教的権威と政治的権威の新たな関係は、豊臣秀吉や徳川家康に受け継がれ、近世の日本に独特の政治と宗教の関係を形成していくことになります。信長の宗教政策の特色については、次のようにまとめることができるでしょう。

 織田信長の宗教政策の特色

     
 ①旧来の宗教的・政治的権威の徹底的破壊
  →比叡山焼き討ち・将軍の追放
 ②自治を支える新たな宗教運動の弾圧と攻略
  →一向宗や法華宗の制圧
 ③自己神格化・・・摠見寺の建立

それでは、信長は具体的にどのような宗教政策を打ち出したのでしょうか。次回の講義では、信長の宗教勢力への具体的な対応と独創的な宗教政策を紹介しながら、この時代から登場する新たな政教関係の性格について、さらに詳しく検討していきたいと思います。とくに③自己神格化について、次回の講義で詳しく紹介します。

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