2021年5月6日木曜日

宗教学特殊講義3・日本宗教史研究2 第3回



織田信長の宗教政策②

既存の宗教勢力の破壊と新しい政治的権威の絶対化


 前回の講義では、織田信長の天下統一事業を駆け足で振り返りながら、天下布武の過程において旧来の宗教勢力と新興の宗教勢力の双方が、信長と政治的・軍事的に敵対し、統一事業を妨げる大きな壁となっていたことを確認しました。


 その際、織田信長の宗教政策の特色として以下の3つを挙げました。グーグルフォームの質問に答えてくれた人は、この調子で頑張ってください。


 今回の講義では、三つ目の自己神格化/政治的権威の絶対化について詳しく説明します。


 足利義昭を奉じて京都に入った信長は、周辺の宗教勢力に包囲されるかたちで、一度は撤退を余儀なくされます。その後の天下統一の歩みは、新旧の宗教勢力を徹底的に破壊し、攻略することによって進められます。こうした背景もあってか、信長はこの頃日本に入ってきたキリスト教(イエズス会)の布教活動には好意的でした。とくに信長の信任を得て、畿内の布教活動に従事したのが、ルイス・フロイスです。


永禄6年(1563)、31才の時に来日したフロイスは、その卓越した語学能力を使って日本で活発な布教を行ないます。織田信長と出会うのは最初の入京の時期であり、既存の宗教勢力と対立を深める信長に接近し、何度も直接信長に会っています。天正8年(1580)の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁しました。
 天正11年から、長期にわたる日本での生活経験と知的探求をもとに『日本史』の編纂・執筆に取り組みます。10年以上の執筆期間を経て完成した、全3巻からなる大部の著作は、19世紀に原本が保管されていたマカオの聖堂が焼失したために失われ、原本を書写した写本も一度は散逸しました。これがある程度原型を取り戻したのは、20世紀になってからのことです。
 その後、日本語への翻訳が進み、さまざまな賞を受賞した『完訳 フロイス日本史』(全12巻)などによって、日本の読者にもその全貌がようやく広く知られるようになりました。




 この記録のかなり部分を占めているのが、織田信長に関する記述です。直接対面した経験にもとづくフロイスの信長像は、極めて好意的に描かれており、旧来の宗教勢力に辟易していた信長にキリスト教への改宗を期待していたと思える記述も少なくありません。
 同じ人物伝であっても政治家・戦略家としての信長を描いた『信長公記』などとは違って、フロイスは常にキリスト教の布教を意識しており、当時の宗教事情や信長の宗教意識などの記述に多くの紙幅が割かれています。とくに興味深いのは、天下布武をほぼ成し遂げた信長が、自らの政治的権威の象徴として建設した、安土城の傍らに築いたとされる「摠見寺(そうけんじ)」の記述です。



フロイスによれば、信長は旧来の神仏に変わって彼自身を礼拝の対象として祀らせたとされています。フロイスは、日本の神々や仏教の信仰に懐疑的であった信長がキリスト教へ改宗することを期待します。しかし、信長は全知全能の神といった思想には関心を示す一方で、「自らに優る宇宙の造物主は存在しない」として、信長自身を祀る摠見寺を安土城の傍らに築きました。その全貌は、近年発掘調査などで明らかにされつつあります。


安土城の信長に拝謁するためには、その途上で摠見寺に祀られる信長を拝する必要がありました。


 そのなかで、一段高くなった本堂の2階に信長は、「盆山」と呼ばれる自然石(仏像や神像ではない)を自分自身として祀らせたと言われています。信長と旧来の宗教勢力との対立やキリスト教との関係を考えるとき、とても興味深い史実だと思います。


 ちなみに、フロイス等の宣教師たちが伝えた記録をもとに、17世紀に『日本誌』を著したオランダのアルノルドゥス・モンタヌスは、信長の自己神格化の像を上記のように描きました。これは、日本へは一度も訪れていないモンタヌスの想像図ですので、史実とは大きく違っています。実際の「盆山」は、ただの自然石であったようです。そのほうが、よりウイットに富んでいますね。


 さらに信長は、全国に次のような御触書を出したとされています。


つまり、信長は神仏に参って祈るよりは、安土城へ来て摠見寺の「盆山」を礼拝する方がよほどご利益があるとしたのです。そして、自らを礼拝する者には富と長寿と健康が約束されると宣言しました。実際、信長が切り開いた天下統一の道によって、戦乱に明け暮れていた日本は太平の世へと導かれたことを考えると、フロイスの記録に残された信長の御触書は、あながち荒唐無稽な内容ではないかも知れません。



 こうして、信長はそれまでの宗教的権威と政治的権威の関係を完全に逆転させて、新たな政治と宗教の関係を作り出していきます。しかし、彼の天下統一の事業は志半ばでとん挫し、その後は豊臣秀吉と徳川家康に受け継がれていきます。そして信長の構想した政治と宗教の新たな関係は、かたちを変えながらも秀吉や家康、さらにはその後の世代にも受け継がれて行くことになるのです。


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