2021年5月19日水曜日

宗教学特殊講義3/日本宗教史研究2 第5回


豊臣秀吉の宗教政策

宗教勢力の再編成と方広寺大仏


  前回の授業では、本能寺の変のあと信長の家臣団の実権を握り、天下統一の事業を受け継いだ豊臣秀吉の宗教政策を確認しました。小牧・長久手の戦いで敵対した紀州の新義真言宗の勢力を武力で一掃した秀吉は、信長に敵対した宗教勢力のうちでほぼ唯一残存していた高野山を攻略します。

 その際、一方的な破壊行為ではなくて交渉の可能性を提示し、自らの政治的権威に高野山を屈服させたことが、秀吉と信長の宗教政策の大きな相違点であると指摘しました。これによって、古代から中世の日本社会において確立されていた宗教勢力のアジール権は剥奪され、宗教的権威と政治的権威の関係は逆転していくことになります。

 豊臣秀吉は、高野山を調略したあとは矢継ぎ早に、ほぼ壊滅していた宗教勢力を自らの政治的権威の下で再編していきます。

 織田信長によって徹底的に破壊された比叡山は、秀吉によって再建がはじめられ、江戸時代を通じて徳川家との深い関係をもとに再編成されていくことになります。この辺りは、徳川政権の権威の神格化と関わってきますので、もう少し後の授業で詳しく紹介します。

 また、信長の天下統一事業を妨げる最も強力な勢力であった本願寺教団/一向宗に対しては、大阪の石山本願寺の跡地に大阪城を築く一方で、東西本願寺を分断する政策を行ないます。

 顕如と教如の親子の対立から東西に分断された本願寺は、豊臣政権と徳川政権のもとでその分立が加速化され、この分断は幕末まで続きます。明治維新の際も西本願寺は討幕側(長州)、東本願寺は幕府側を支援しました。さらに秀吉は、高野山や興福寺の再編にも着手します。 

豊臣秀吉の宗教政策のブレーンは、高野山の調略に大きな役割を果たし、秀吉の政治的権威を背景にして高野山の再編を進めた木食応其(もくじき おうご/15361608でした。戦乱の時代から織豊政権の確立期において、壊滅的な打撃を受けていた宗教勢力は、全国的な統一政権をほぼ確立した秀吉の政治的権威に「飼い慣らされる」かたちで再編成されていくことになるのです。この再建の過程で秀吉は、古代の宗教的/政治的権威の象徴であり、この時期は松永久秀によって破壊されていた東大寺の大仏殿を再建するのではなく、自らの拠点であった京都にさらに大規模な大仏を建造しようとします。

 現在も京阪電車の七条駅を降りてすぐの場所にかつての方広寺の跡地があります。京都国立博物館の敷地に少しだけ当時の石垣が残っており、当時の伽藍の規模を感じることができます。現在の方広寺は後に再建されたものですので、ほとんど往時を偲ぶことはできませんが、この地域を散策すると大仏の痕跡をそこかしこに見つけることができます。

 秀吉の死後、大仏建立の事業は息子の豊臣秀頼に引き継がれます。建立された大仏殿は、大阪城や東大寺の大仏殿の大きさを凌ぐ壮麗なものであったと伝えられています。


 江戸時代に火災によって焼失しますが、100年以上京都の名所の一つとして訪れる人々を魅了しました。江戸時代に出島から日本を訪れた外国人は、将軍の謁見などのために江戸へ向かう際に京都の大仏に立ち寄り、しばしばその様子を書き記しています。

 この大仏を頂点として、秀吉は仏教の各宗派から僧侶を集めて豊臣家の祖先を供養する法要を行ない、自らの政治的権威のもとで旧来の宗教勢力を再編しようとします。これについては、この政策を受け継ぐ徳川政権の動きと関連づけながら、次回の講義で詳しく説明します。

 さらに自らの死期を悟った秀吉は、死後自らを神(豊国大明神)として祀らせるために、広大な土地(太閤坦)を造成して豊国神社を建立します。 


 死去した後も遺体を安置し、壮大な神社の完成を待って祀られた秀吉は、自ら建造した新しい大仏とこの大仏に象徴される新たな体制を守る守護神として祀られることになりました。つまり、秀吉は自らがつくり出した新しい社会秩序とそれを支える新しい宗教的権威の守護神として、自らを祀ろうとしたのです。このことについては、やはり当時の日本への宣教師の一人が興味深い出来事として記録し、その顛末をローマに報告しています。


 敵対する宗教勢力を徹底的に破壊し、自らの政治的権威を宗教的権威の上に置いた織田信長の政権を継承した秀吉は、天下統一の過程で信長と同じように宗教勢力を一掃しますが、その一方で弱体化した宗教勢力を自らの権威のもとで再編します。そして、再編された宗教的権威を象徴する大仏を建造し、この大仏と新しい社会秩序の守護神として自らを祀ります。

 しかし、その大仏の建造を端緒として豊臣氏は滅亡し、秀吉を守護神として祀る豊国神社は徳川家康によって跡形もなく破壊されます。現在は、その跡地に簡単な説明書きをした立て看板があるのみです。


 次回は、この大仏をめぐる豊臣氏と徳川氏の対立とその後の政権交代、さらには豊臣秀吉から徳川家康へと天下の守護神が移行される過程について考えます。この後に形成される徳川幕府の宗教政策が、現在にまで続く日本人の「宗教的心性」に深く関わってきます。授業の本題はここからですので、しっかり内容を確認してください。

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*前回と今回の授業の内容をさらに学びたい人は、以下の文献などが参考になると思います。図書館等で調べてみてください。